犬猿の仲❓5歳差姉弟の子育て日記

性格の正反対な高1娘(犬❓)と小5息子(猿❓)を飼育中(笑)子供のことや学校、料理のことなど誰かの参考になったら嬉しいなぁと思うことを書いて行きたいと思います♪

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夏になると今でも思い出す、戦争体験の質問をした時の祖父母の姿。戦争の愚かさ、平和の大切さを痛烈に実感した日

夏になり、終戦記念日の式典の映像など戦争の話題が出ると、私は、今は亡き祖父母のことを今でも思い出します。

先日も、下の子(小4男子)の国語の問題集で戦争の内容が入った物語が問題として取り上げられていて、祖父母のことを思い出しました。

 

 

今から30年ほど前、私がまだ小学生だった頃の話です。

私の通っていた小学校では、戦争学習・平和学習に比較的熱心だったように思います。

関西の学校だったせいもあるのか、小学校6年生の修学旅行の行き先は広島で、原爆ドームや原爆資料館を見てまわるのが決まりでした。

その為、6年生以外の他の学年の時も、修学旅行の事前学習も兼ねて毎年平和学習が行われていました。

 

 

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そして中学年だったか高学年だったかの時に、夏休みの宿題の1つとして、祖父母の家に帰省する人は、戦争体験を聞いてきてくださいという宿題が出ました。

その年、私達家族はちょうど佐賀の祖父母の家に帰省する機会があったので、戦争を実際に体験した祖父母に戦争のことを聞いてみました。

・・・が、その日、私は聞いたことをとても後悔しました。

 

その時祖父母は70代後半ぐらいだったと思います。

いつも温和で優しい祖父母でした。

母から、祖父は兵隊として戦地で戦っていたとの話を聞いていたので、まず祖父に聞いてみたのですが、「うん、うん」とうなずきながらいつものように笑顔で私の話を聞いてはくれるのですが、全く口を開いて話をしてくれませんでした。

その時の私にはその祖父の行動の意味が分からず、どうしていいのか分かりませんでした。

けれども宿題だからと、今度は祖母に聞いてみたのですが・・・そこで私は後悔の嵐に襲われました。

祖母は私の為に、戦時中のことを少しですが話してくれました。

その内容は今はもう忘れてしまったのですが、その後の祖母の行動・言葉が忘れられないものとなりました。

祖母はゆっくり話しながら、段々涙目になり始め、

「戦争はいかん、絶対したらいかん。戦争はいかん、絶対いかん」

と大粒の涙をボロボロ流しながら、何度も何度も繰り返しました。

その姿を見て、私は戦争の恐ろしさ・愚かさを悟ったと同時に、祖父の沈黙の訳を一瞬にして理解しました。

当時、戦後40年以上経っていましたがなお、戦争体験者の祖父母の心には深い傷が残っているということを痛烈に感じました。

そして、宿題だからと気軽に考えて祖父母に戦争のことを聞いてしまった軽率な自分を恥じずにはいられませんでした。

 

祖父母の家には、当時でも仏間に昭和天皇と皇后の写真が額縁に入れて飾られていました。

当時でも崇拝していたようで、戦争時ならなお、お国の為、天皇の為と考えていたと思います。

けれども、戦地で戦った祖父。

恐ろしい思いをいっぱいしてきたはずです。

人には喋れない事、喋りたくない事、忘れたくても忘れられない事など、私では想像すらできない出来事がいっぱいあったと思います。

戦地こそ行っていない祖母でも、祖父を戦地に送り出す辛さ、戦時中というただでさえ不安な状況で幼い子供達(私にとっての伯父叔母)を一人で守らなければいけない責任感、そしてお隣長崎で原爆が落とされた時の恐怖。

想像を絶する苦労、辛い気持ち・体験があったと思います。

戦後40年以上経った当時でも、戦争を実際体験した祖父母は瞬時に思い出してしまうのです。

それだけ辛いことだったのです。

それなのに、私は祖父母の気持ちを事前に考えることもなく聞いてしまったと、とても後悔しました。

祖父のあの沈黙が、祖母のあの言葉と大粒の涙が全てを物語っていました。

 

 

その時の祖父母の姿があまりに印象的過ぎて、私は戦争の話題になると、祖父母亡き後の今でも毎年、祖父母のあの姿を思い出します。

当時の私は祖父母に辛い思いをさせてしまいましたが、その後悔をその体験を無駄にしないよう、子供達に、そしてもし孫ができたらその孫達に、祖父母の話をし、戦争の愚かさ、平和の大切さを伝えていけたらなあと思っています。

 


 

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